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夕暮れ。公園に数名の子供がいる。そのなかで一際目立ってはしゃぐ影が二つ。
少年と少女は体中泥まみれになりながら日中走り回っていた。
時計が五時を示す。家に帰らなければならない時間である。
「明日も遊ぼうねー!遅れたらだめだよ!」
少女が少年に振り返りながら叫ぶ。少女の姿は赤い夕陽に当てられ、オレンジ色に輝いていた。
少女が帰っていくのを見届けた少年は、少女とは反対方面へと振り返り、家に帰るため走り出した。

「またこんなに泥だらけにして」と、家に帰った少年を見る母親は、困ったようにいいながらも笑みを浮かべていた。
今は夏休み。子供たちは皆狂ったように遊んでいる。
少年はこの楽しい日々を幸せに感じていた。
明日はどんな遊びをしようかな。
夏の厳しい暑さも、子供の遊び心の前では何の弊害でもなかった。

リビングでテレビを見ていると、仕事先から父親が家に帰ってきた。
父親は仕事で名古屋に単身赴任をしていて、めったに家に帰ることはなかった。
少年は駆け足で玄関へ行く。「おかえりなさいお父さん!」と元気いっぱいに迎える。
「ただいま琢磨。元気にしてたか?」と、少年の頭をなでながら問う父に対し、「うん!」と答える。
「この子ったら宿題もせずに毎日美咲ちゃんと遊んでるのよ?泥だらけの服洗濯する私の身にもなってほしいわ」
ため息交じりに母親も父親に話しかける。
「ご飯もうすぐできるから先にお風呂一緒に入ってらっしゃい」
「おお!琢磨ぁ、久々に一緒に入るか!」
嬉しそうな父である。

「いやーしばらく見ない間に琢磨も大きくなったな」
湯船に浸かりながら少年に話しかける父。
「僕ね、クラスで一番大きいんだよ!すごいでしょ!」
少年は背が高く、少年が通っている小学校の二年生のなかで身長が一番大きかった。
「ねぇねぇ、次はいつ向こうに行くの?」
少し寂しそうな表情で尋ねる少年に、父は少し申し訳なさそうにしながら
「この土日が終わったらまた名古屋に帰らないといけないからなー。明日は一緒にどこか遊びに行こうか」
と少年に提案する。少年は一瞬うれしそうな表情を浮かべたが、すぐに少女との約束を思い出す。
「ごめんね、明日は美咲ちゃんともう遊ぶ約束しちゃってて・・・」
「そうかー。なら仕方ないな。ま、そのうちずっと一緒にいられるようになるから大丈夫さ。」
「そうなの!?やった!」
父親の言葉の意味を少年は、単身赴任が終わってずっとこっちでいてくれるものだと解釈した。
「そろそろ出るか。母さんのご飯もできてるだろう」

お風呂から出ると、母親が夕飯を作って待っていた。少年の大好きなカレーである。
「いただきまーす!」
おいしいおいしいとカレーをほおばる少年に父が話しかける。
「琢磨、お話があるんだ。実は父さんが仕事で行ってる名古屋に母さんも琢磨も来ることになるんだ。」
少年は食べながら、今の父のセリフの意味を考えていた。
「旅行するってこと?」
「いや、琢磨も母さんも、父さんが住んでる名古屋に引っ越すんだ。夏休みが終わったら琢磨は名古屋の学校に行くんだ。」
「え」
少年の持っていたスプーンが止まる。少年は理解することができなかった。いや、本当は理解していたのだが、父親のあまりにも唐突な発言を受けいれることができなかった。
父は続ける。
「向こうでの仕事がこれからも続いてしまいそうでな。母さん一人で生活させるのも大変だし、それなら向こうで一緒に暮らそうということなんだ。これで毎日父さんと会えるぞ!」
少年は母親が毎日苦労しているのを知っている。家事全般を朝からひとりでこなし、平日にはパートも入れている。でも
「美咲ちゃんは?ほかの友達は?」
少年には切り捨てることができなかった。
「残念だけどお別れになるわね。大丈夫よ、名古屋に行っても楽しい友達がいっぱいできるわよ」
少年には、どうしていいかわからなかった。しかし、ここで自分がいやだといっても、どうにもならないことはわかっていた。
「明日美咲ちゃんと遊ぶんでしょう?お別れは言っておきなさいね。」

次の日、約束の時間に少年は公園に来た。少女は既に公園に着いていた。
その日もひとしきり遊んだのだが、引っ越しのことを言う事は出来なかった。

夏休みが終わった。少年は結局、美咲にもほかの友達にも引越しのことは言えないまま名古屋に引っ越し、高校生活が終わるまでを名古屋で過ごした。

月日は流れる。
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